非対称情報とレモン市場#

この節では第一番目の仮定、情報の対称性が満たされない場合、つまり情報が市場の参加者の間で非対称である場合を考える.

例として、中古車市場を考えてみる.中古車の売り手はいま売りに出している中古車が質の高いもの(ピーチ)であるか質の低いガラクタ(レモン)であるかをよくわかっている.一方で買い手にとってはあまり区別が付かない.何ヶ月か乗車してみないとそれが質のいいものなのかどうかよくわからない.こういった市場をレモン市場と呼ぶ.

買い手は質のいい中古車ならば200万円払っても良いと思っているが、質の悪い中古車なら50万円しか払いたくないとしよう.一方で、中古車の売り手は質の高い中古車ならば仕入れるのに150万円かかるが、質の悪い中古車を仕入れるならば10万円かかるとする.

さて、もし買い手の方も中古車の質がわかるのならば、質が悪かろうと良かろうと取引は成立する.質の良い中古車ならば200万円から150万円の間の値段がつき、悪い車なら50万円から10万円の間の値段がつくだろう.

しかし買い手には質の良し悪しの区別が付かない.世の中に良い車と悪い車が半々づつあるのだとしたら、買い手が中古車に払ってもいい金額は支払意思額の平均の金額\(\dfrac{200+50}{2}=125\)万円となるだろう.

ところがこのとき売り手は質のいい車を仕入れる気にはなれない.なぜならば仕入れるのに\(150\)万円もかかる一方、買い手が質のわからない素人であるがために\(125\)万円でしか売れないからである.したがって売り手が仕入れるのは悪い車ばかりということになる.

買い手は売り手のこの行動を勘定に入れなければならない.いま中古車売り場には質の悪い車しかないので最大支払ってもいい価格は50万円である.仕入れるのには10万円かかるので取引が成立する. しかしこの行動によって質のいい車は取引されない.市場には質の悪い車だけが生き残ってしまうのである.このように品質の低いものばかり市場に出回る現象を逆選抜と呼ぶ.

この問題を解決するにはどうしたら良いのだろうか.質のいい車について「これは質がいい」というメッセージを出すことは基本的に無駄である.質の悪い車でも同じことができるからだ1

確実な方法は質のいいという何らかの証拠を出すことである.もしこの証拠を出すことができるならば質の高い車を持つ売り手はこの証拠を出すことで質の悪い車との差別化を図るだろう.質の悪い車はそういう証拠を出せないので同じ行動に出れないのである.逆に証拠を出さないという手はない.もし出さないならば質の悪い車とみなされてしまうからである.

ただし証拠がタダで手に入るとは限らない.また、偽造ができるかもしれない.ここでは質のいい車の売り手は10万円で証拠を作ることができ、質の悪い車の売り手は偽造に160万円かかるとする. さて、もし質のいい車の売り手だけが証拠を作るのならば、その車は200万円で売れるものだとしよう. そうすると利益は\(200-150-10=40\)万円である.一方、質の悪い車の売り手の利益は、その車が50万円で売れるとしたら利益は\(50-10=40\)万円である.今、質の悪い車を持つ売り手が証拠を偽造するとどうだろうか.このとき、車は200万円で売れるが、その分100万円かかる.すると利益は\(200-160-10=30\)万円である.これでは到底証拠を偽造する気にはなれない.では質のいい車の売り手が証拠を手に入れるのを諦めたらどうだろうか.このとき車は50万円で売れるので、利益は\(50-150=-100\)万円である.そうするくらいならば証拠を作りに行くだろう.こうして質のいい車の売り手だけが証拠を持つという結果になり、無事取引が行われる.このように費用をかけて品質をアピールするという行動をシグナリングと呼ぶ.


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質の良し悪しに関わらず同じメッセージが出せる状態でのコミュニケーションをチープトークと呼ぶ.基本的に利害の対立があるときにはチープトークでのコミュニケーションは完全にはうまくいかない(部分的に情報が伝わる場合はある).利害が一致する場合は大抵はうまくいくが、うまくいかない場合もある.