単一財の生産者理論#
供給曲線の導出#
売り手(あるいは生産者)についても消費者のものと同じような議論を行う.いま売り手は\(q\)だけの財を作るのに費用が全部で\(C(q)\)だけかかるとしてみよう1.
これは (総)費用関数と呼ばれるものである.一方で\(q\)だけ作る分、売り手には収入がある.作った財が価格\(p\)で売れるものだとすると彼の儲け(利潤と呼ぶ)は次のとおりである.
当面は売り手はこれを最大化するものだとする.買い手の場合と同様に利潤\(\pi(q)\)を\(q\)で微分することで最大化を図って見よう. 微分すれば
となる.この値が\(0\)になれば良いので\(\pi\)を最大にする\(q\)ならば\(p-C'(q)=0\iff p=C'(q)\)が成立する.\(C'(q)\)は限界費用と呼ばれる.つまり追加的に一単位生産するときに余計にかかる費用のことである.これも市場における交換での供給曲線との関連を指摘できる.市場における交換での売り手全体を一人の売り手だと思ったとき、最初の一単位を生産するには850万円でいい.しかし次の一単位を生産しようと思うと一番の大工ヨセフはすでに仕事中であるので二番手のヤコブに任せるしかなく、そのときには追加的に950万円かかるのである.限界費用もこれと似たような概念である.生産量を増やそうと思うとコストが増えるのは間違いないが、\(C'\)はその追加的な増分がどれだけの大きさかを示している.
さてこれも図に書いて見よう.Fig. 5を見ればわかるように需要曲線の場合と同様に価格をひとつ決めるとそれに対応する最適生産量\(q^{*}\)を見つけることができる.
Fig. 5 利潤最大化条件#
また価格と最適生産量の組み合わせは必ず曲線\(C'(q)\)上にある.これがこの場合の供給曲線となる.
さて需要関数の場合と同様に供給関数も導出することができる.これは価格が\(p\)であったとき、どれだけ生産したいかを示す関数である.具体的に\(C(q)=q^{2}\)であるとしよう. \(q^{2}\)を微分したものは\(2q\)であるので、これを利潤最大化条件に代入する.
これをみると最適生産量\(q^{*}\)もやはり\(p\)の関数(一次関数)として書ける.よってその関係をわかりやすくするため\(S(p)\)と書く.(Supply の S)である.この例だと\(S(p)=\frac{1}{2}p\)である.こういった関数は供給関数と呼ばれる.
生産者が複数いる場合、市場の供給関数は全ての生産者の供給関数を足し合わせる.このようなものは総供給関数と呼ばれる.
費用の構造#
さて前節では生産にかかる費用を\(C\)という関数で置き、ブラックボックス的に扱ってきたが、では現実ではどのようなものが費用に当たるのかを考えて見よう.
まず思い当たるのは原材料費、燃料代、電気代や人件費といったものである.これは生産量を増やせば増やすほど増大していくものだと考えられる.こういった生産量を変化させれば変えられる費用のことを可変費用と呼ぶ.
可変費用に対して、工場や機械など一度導入してしまえば(管理費や消耗による修繕費などはかかるものの)生産量によらず一定でかかる費用もある.こういった費用を固定費用と呼ぶ.
工場や機械などを固定費用と呼ぶことには次の批判がありそうだ.「本当に生産するつもりがないんだったらそもそも工場なんか建てなければいいのでは?」実際、長い目で見てみれば、生産する気がないのであれば工場や機械などは売却してしまえば費用(の一部)は回収できる.しかし短い目で見てみればこれらは融通性がない.こういうものは一日二日で売れるものではないし、速やかに現金に変えたいのだとしたらそれこそ二束三文で売ることになり、建てるのにかかった費用のほんの一部しか回収できない.結果生産を一切しないのに費用だけがかかるということになりかねない.
この議論で言えることは何が固定費用かは時間の長さによるということだ.人件費だって雇用調整がうまくいかなければ生産量を少なくしても余分な人員を抱えることになるが、その分給与も払わなければいけないので生産量に関係なく費用がかかることになる. しかし10年や20年という長い目で見ればそういった調整は可能であろう. こういうようにあらゆる費用が生産量に応じて調整できるような長い期間のことを経済学では長期と呼ぶ.そうでなく、一部回収不能な固定費用が生じてしまうような状態は経済学では短期である.
今まで見てきた費用の例は原材料費や人件費などの会計上の費用である.一方で会計上ではカウントされないが経済学的には費用とみなされるものがある.例えばある工場をパック牛乳を作るのに使っていたとしよう.ところがこの工場はほとんど費用をかけることなく羊羹を作る工場に変えることができる.羊羹を作っていたときに稼いでいたはずの利潤も費用なのである.何故ならばもし羊羹を作っていたときに稼いでいたはずの利潤が牛乳工場で得られる利潤を上回っているならば牛乳でなく羊羹を作るべきである.牛乳を作ることで諦めた利潤、つまり羊羹を作れば得られていたであろう利潤の分も費用としてカウントしてやらないと利潤最大化はうまくいかないのである. このように他に使い道があったのに現在の使い道にすることで失う利益のうち最大のものを機会費用という. 経済学では会計上の費用に加えて機会費用も経済学上の費用とみなす.
さて費用関数に対応させて見よう.例えば\(C(q)=q^{3}+q^{2}+q+5\)という関数では何が可変費用でどれが固定費用だろうか.生産量に応じて変化する部分が可変費用であるので\(q^{3}+q^{2}+q\)の部分が可変費用であり、全く生産しなくてもかかる費用(つまり\(q=0\)のときの費用)が固定費用であるので固定費用は\(5\)である.固定費用はいわば\(C(0)\)と書くことができる.可変費用はその残りの部分\(C(q)-C(0)\)である.
ところで前節の議論を見ればわかるが、固定費用は最適な生産量の決定には全く関係がない.どれだけ費用を調整しようとすでに払ってしまった費用が短期的には戻ってくることはないからだ.このようにすでに支払ってしまってもう取り返しがつかない費用のことを埋没費用2と呼ぶ.ただし固定費用の中身によっては埋没費用にならない場合もある.工場などは長期的には売り払ってしまえば費用の一部は回収できるからである3.
世の中にはあるプロジェクトについて、「すでにこれだけ費用をかけてしまったのだから、いくら失敗濃厚といったとしてもそのプロジェクトをやるしかない」と主張する人がいる.これは全くの誤りである.すでにかけた費用は回収できないので回収できる範囲でプロジェクトをするかどうかを決めるべきなのである.こういうものを埋没費用の誤謬という4.
固定費用は利益が赤字か黒字かという分析には関わってくる.利潤が黒字になるのは以下の不等式が成立するときである.
一方で以下の不等式が成立するときには赤字である.
そして次の等式が成立するとき、利潤が\(0\)となる.
上の式の両辺を\(q\)で割ると
となるが、このときの価格を損益分岐点の価格、生産量を損益分岐点の生産量と呼ぶ.\(\dfrac{C(q)}{q}\)は生産一単位あたりの費用なので{平均費用}と呼ばれる.
価格が損益分岐点を下回ったとしても生産をやめるべきではないかもしれない.可変費用の部分で黒字であれば固定費用による赤字を減少させることができるからだ.可変費用を\(VC(q)\)とおけば
である限り、一単位生産するごとに利益が生まれる.生産を続けて赤字がマシにならなくなるのは
であるときだ.このときは生産するよりも\(q=0\)にした方が利潤はマシである. したがってその境界、
となる価格を操業停止点の価格、そのときの生産量を操業停止点の生産量と呼ぶ.\(\frac{VC(q)}{q}\)は平均可変費用と呼ばれる.
さて損益分岐点と操業停止点をそれぞれ求めてみよう.価格\(p\)が与えられたときの最適な生産量は\(p=C'(q)\)を満たすということを思い出してもらいたい.
したがって損益分岐点の生産量\(\hat q\)では
が満たされる.
同様に操業停止点の生産量\(\tilde q\)では
が満たされる.
図で言えばFig. 6のとおりである.
Fig. 6 損益分岐点と操業停止点#
平均費用の方が平均可変費用よりも常に大きくなることに注意しよう.これは固定費用が正であるので,それを除いた部分の平均可変費用のほうが,固定費用を考える平均費用よりも少なくなるからである.したがって,図を考えれば,損益分岐点の価格の方が操業停止点の価格よりも高くなる.
注意#
供給曲線の導出では供給曲線は限界費用曲線そのものだと述べたがこれには注意が必要である.もし操業停止点の価格が正であるならばそれ以下の価格では生産量を\(0\)にしなければならないからだ.したがって供給曲線は限界費用曲線の「操業停止点より右上の部分」ということになる.それ以下では生産量は常に\(0\)だ.
Fig. 7 供給曲線#
- 1
正確には\(q\)だけ作るための最小の費用である.下手な作り方をしていれば\(q\)だけ作るためにいくらでも支出できるが、費用が最小にならない作り方をする意味は(基本的には)ないからである.(利益供与などの不正をする場合などは除く)
- 2
英語では sunk cost という.
- 3
別の用途に使える場合も同様に埋没費用とはみなされない.完全に他の用途にも使えず、回収できないものが埋没費用とみなされる.
- 4
ところでこういう発想にも利点がある.例えば運動不足解消のためにジムに年間会費を一括で支払う場合を考えて見よう.あとでめんどくさくなったとしたら、たとえ支払ってしまっていても通わなくなるというのが``最適’’な判断である.勿体ないからといって面倒でも通い続けるのは埋没費用の誤謬に囚われているのである.しかし「運動不足を解消したい過去の自分」からすれば面倒でも通い続けるのが良いだろう.このようにサボりたいというような誘惑がある場合には埋没費用の誤謬がプラスに働くのである.