単一財市場の理論#

分業と財の交換#

経済学における市場とは人々がお金などを介して財の交換を行う場である.個々人がひとりで生産できる財の種類はどんなに器用な人だとしてもほんの僅かである. すぐれた畜産農家が卓越した金物職人であることはまずありえないであろうし、経理のプロフェッショナルが群衆をわかせるエンターテイナーであることもほとんどない. また、たとえもし何事にも優れている超人のような人がいたとしても、時間はすべての人に平等に与えられている.それゆえ、人々はたいていひとつの業種に特化し、社会的に分業をするのである.

その一例を見てみよう.

Table 1 比較優位と絶対優位#

農産物

工業製品

アダム

5億

10億

デイヴィッド

4億

3億

アダムとデイヴィッドがそれぞれ農産物と工業製品を作ることを考えている.Table 1では一年あたりで彼らが作ることができる価値を表している.この値を生産性と呼ぼう.つまり,アダムの農産物の生産性は\(5\)億で,デイヴィッドの工業製品の生産性は\(3\)億である. 彼らが別々に農産物と工業製品を作ろうとすると、例えば半々に労力を割けば農産物は\(2.5+2=4.5\)億, 工業製品は\(5+1.5=6.5\)億の合計\(11\)億の価値である.これを仮にアダムは工業製品に注力し、デイヴィッドは農産物に注力すればどうなるだろうか.答えは次のとおりである.工業製品は\(10\)億、農産物は\(4\)億の合計\(14\)億になる.合計の価値を最大にするにはこうすることがベストである.

この理由は以下の通りである.アダムは農産物一単位を生産する間に工業製品を二倍生産できるのに対し、デイヴィッドは逆に工業製品一単位を生産する間に農産物を\(4/3\)倍生産できるのである.それぞれが比較的得意な方に特化する方が全体ではより多く生産できる.どちらが比較的得意かは生産性の比を考えれば良い.例えば農産物と工業製品の比較であれば工業製品に対する生産性を農産物に対する生産性で割る.これを工業製品の農産物に対する相対的な生産性と呼ぼう.アダムのこの比率は\(\frac{\text{10億}}{\text{5億}}=2\)で,デイヴィッドは\(\frac{\text{3億}}{\text{4億}}=3/4\)であり,\(2>3/4\)であるので,工業製品の農産物に対する相対的な生産性はアダムの方がデイヴィッドより高い. このときアダムはデイヴィッドよりも工業製品の生産に比較優位があるといい、逆に農産物の工業製品に対する生産性を考えればデイヴィッドにはアダムよりも農産物の生産に比較優位がある. 注意すべき点として、アダムは農産物の生産でも工業製品の生産でもデイヴィッドの生産性を上回っている.このときアダムは両方の生産に絶対優位があるという.こういった場合でもアダムが両方の財を生産しないのはアダムの時間が限られているからである.比較的劣る農産物の生産をすることで収益があまり上がらないならばその分野はデイヴィッドに任せてしまう方が良いのである.

このとき、アダムは工業製品だけを、デイヴィッドは農産物だけを手にする.しかし両者ともこれでは満足できないだろう. お互い程々の量の工業製品を消費したいだろうし、農産物も程々の量を消費したい.このとき、彼らは余計に作った分、余剰生産物をお互いに交換して多種多様な財を消費することができる豊かな生活を送るのである. さて、その余剰生産物をどこで交換するのだろうか.ひとつの答えは市場である. 経済学はこの市場とはさて、どれだけ素晴らしいシステムなのか、あるいは致命的な欠陥をもつものなのか、そして市場をどう扱えば我々の生活をさらに向上できるかという問いに答えを用意する. この章ではまず第一歩として、財が一種類だけしかない市場とその役割を分析する.