妥当な論証#
モデルから結論を導く上で論理的な分析は欠かせない。こういった論証の多くは「モデルの仮定などの前提から結論を導く」という形をしている.前提にはモデルの設定仮定のほかデータや歴史的な事実を含めてもよい。 この分析の際には妥当な論証をするということに気を付けなければならない。 妥当な論証とは何かというと、もし仮定がすべて正しいなら結論も正しくなるような論理的な話の進め方である。
ここで一つ注意点として、前提が正しくないときには「前提ならば結論」という論証自体が正しくても何も言えないということである。例えば 『「雨が降る」ならば「Aさんは傘をさす」』という論証自体が正しくても,雨が降っていないときにAさんが傘をさすかどうか,それだけからはわからない.もし雨が降っておらず、Aさんが傘をさしていないことを目撃したからといって、「その論証が嘘だ!」と文句をつけに行ったら言いがかりもいいところである。
また妥当な論証のためには用語がしっかりと定義されていなければならない.経済学(に限らず多くの学問)では専門用語(technical term)が使われ、その定義がきちんとなされている。この定義というものは専門用語がどのように使われるものなのかを説明するものである。実際に経済学で使われる専門用語として,例えば効用がある。
効用の定義
効用とは人々が選択肢に割り振る数値であり、人々はその効用が最大になる選択肢を選ぶと仮定される。
専門用語の定義としてはこんな感じだが、これだけだと現実の何に対応するのかがわからないので、「解釈」として以下のような説明もなされる。
効用という言葉の解釈
効用は人々にとってその行動をとる事の満足度や重要さを表すものである。効用の値が高ければ満足度が高い、あるいは優先度が高い。
つまり,日常的な,あるいはよく知られている言葉で説明するということである.
定義されていれば,用語自体はなんでも良い。しかし日常で使われやすい用語を日常感覚とかけ離れた別の意味で定義することは混乱を招くのでやめた方が良い1.
よくない定義の仕方の例として次を考えてみよう。
定義 1
ある行動を1回はしたことがあるということを「常習的に(その行動を)する」と呼ぶ
ある大学の施設で.教室の前で立って喋ったことのある人を「大学教授」と呼ぶ
風邪薬のことを「薬物」と呼ぶ
以上の定義に従って 「日本の大多数の大学教授が研究室において常習的に薬物を摂取していたという」を解釈するとどうなるだろうか。これは「大学の施設で喋ったことがある人が研究室で風邪薬を飲んだことがある」ということになる。これでは字面から受ける印象と意味が全く違う.たとえ言いたいことが事実で正しかったとしてもそれは伝わらない.
妥当な論証の例#
前節の注意を踏まえて,この節では妥当な論証の方法の例を具体例を挙げて説明する.ただし,すべての妥当な論証のパターンを網羅しているわけではないので注意すること2.
モーダス・ポネンス#
次の論証方法を モーダス・ポネンス(前件肯定) と呼ぶ.
前提1. PならばQである.
前提2. Pである.
結論. よってQである.
PならばQであるという文についてPを前件,Qを後件と呼ぶ.次の文がその例である。
前提1. 「雨が降る」ならば「Aさんは傘をさす」
前提2.「雨が降っている」
結論. よって「Aさんは傘をさす」
モーダス・トレンス#
次の論証方法を モーダス・トレンス(後件否定) と呼ぶ.
前提1. PならばQである.
前提2. Qでない.
結論. よってPでない.
数学の背理法のようなものである.次の文はモーダス・トレンスの一例である。
前提1. 「雨が降る」ならば「Aさんは傘をさす」
前提2. 「Aさんは傘をさしていない」
結論. よって「雨は降っていない」
モーダス・トレンスの変種として,「PならばQである」こと自体を反証することもできる.
前提. Pであり,なおかつQでない
結論. よって「PならばQである」は正しくない.
これはあるモデルによって導かれた事実が現実とかけ離れていることを示すことで、そのモデルやそこでの仮定が現実的でないと主張する論証である。
具体的な例として、次のケースを考えてみよう。
前提1. 仮定Aが正しければある商品の価格が上がったときに購入量は必ず増加しないということが導かれた。
前提2. その商品の価格が上がってなおかつ購入量が増加したということを観察した.
結論. 仮定Aは正しくない
「現実」が実際にどうであるかは歴史的事実やデータと統計学を駆使して調べる.実際にどうやって調べるかについての方法は計量経済学という分野で発展している.
三段論法#
三段論法とは次のような論証方法のことである.
前提1. PならばQである.
前提2. QならばRである.
結論. よってPならばRである.
Pを前提にしてRを演繹するとも言う.実際に以下の例を見てみよう.
前提1. 人々が合理的ならば選ばれた選択肢はその人にとって最も良いものである.
前提2. その人にとって最も良いものが選ばれているならば外野は何もしない方が良い.
結論. よって「人々が合理的ならば外野は何もしない方が良い」
三段論法のような論証は実際には「三」段で済まない場合も多い.
前提1. 人々が合理的ならば選ばれた選択肢はその人にとって最も良いものである.
前提2. その人にとって最も良いものが選ばれているならば外野は何もしない方が良い.
前提3. 外野は何もしない方がよいならば税金をかけない方が良い.
前提4. 税金をかけないならば政府も必要がない.
前提5 政府が必要ないならば国はいらない.
結論. よって「人々が合理的ならば国はいらない」
「風が吹けば桶屋が儲かる」方式の論証である.こういった論証がうまくやるには 一つ一つの「ならば」文の検証が大事である. 一つでも正しくなければ論証自体が正しくならない.
全称命題と存在命題#
経済学に限らないが,結論の中には「すべてのXについて言えること」と,「特定のXにしかいえないこと」がある.「すべてのXについてAである」と言う形の文を全称命題と呼ぶ. 以下の論証は妥当である.
前提1. すべてのXについてAである.
前提2. YはXである.
結論. よってYはAである.
Xという特徴を満たすようなどんなものについてもAであると言えるのだから,Xという特徴を満たす一員であるYについてもAであるといえよう,ということだ.「すべてのカラスは黒い」という全称命題が正しければ,テキトーに見つけてきたカラスも黒いということである. こういった全称命題は反例が出されれば間違っていることになる.例えば,「すべてのカラスは黒い」という全称命題は「黒くないカラス」が見つかれば間違いだということになる.
全称命題と対照的なものが存在命題である. 「〜であるような〜が存在する/見つけられる」と言う形の文のことだ.「存在命題」という結論が得られたところでなんなんだ?となるかもしれないが,これは大事なことである.例えば,「ある方程式の解がある」ということがわかっていれば,その方程式を解くのがどれだけ難しくても総当たりで数字を入力し続ければいずれ見つかるかもしれない.しかし「その方程式の解がない」のであれば数字を入力し続けたところでいつまでたっても解には辿り着かない.
特に存在しないものを前提とした論証はすべて正しくなってしまうことに注意する.
前提1. AであるようなXは存在しない.
結論. YがAならばBである
「YがAならばBである」というのは「YがA」という世界でのみ成り立つ話であり,現実にはAであるようなものが存在しないので永久にその「YがAならば…」が成り立っている世界を見ることはできない.そこで何が起きようと我々には 「YがAならばBである」が正しいのかどうかを確かめることができないので反証できないのである3.
妥当でない論証の例#
上では妥当な論証の例を紹介してきたが,以下では良くやる間違いということで,妥当ではない論証の例を紹介する.例によってすべて網羅しているわけではないので注意すること.
後件肯定:#
次のような論証は妥当ではない.
前提1. PならばQである.
前提2. Qである
結論 よってPである
このタイプの論証が妥当ではないことを次の例を見て考えてみよう.
前提1. 妖精が天井裏でダンスしていれば物音がする.
前提2. 今,物音がしている.
結論. よって今,妖精が天井裏でダンスしている.
前提1と2は間違ってはいないだろうが,その前提からその結論は明らかに間違っている.妖精以外が天井裏で暴れていても物音がするからである.このように正しいだろう前提から間違った結論が導かれるとき,その論証が妥当でないという.
前件否定#
次のタイプの論証も間違いである.
前提1. PならばQである
前提2. Pでない
結論. よってQでない.
これも例で見てみると論証の仕方としてまずいことがわかるだろう.
前提1. 妖精が天井裏でダンスしていれば物音がする
前提2. 妖精が天井裏でダンスしているなんていうことはない
結論. よって物音はしない
注意点としては「よって以降の結論」が正しくても論証として妥当でなければその議論は間違いである.これは以下の例で確かめてみよう
前提1. 屋根裏にネズミがいれば物音が鳴る
前提2. 今,物音がなっている
結論. よって今,屋根裏にネズミがいる.
結論は正しいかもしれないが,ネズミ以外が暴れているかもしれないので論証としては不十分である.ただし,物音がする前よりはネズミが暴れている可能性は高まると言えることは注意である.これは少なくとも「天井裏に物音をさせる原因が何もない」ということが否定されるからである4.
過度な一般化#
今度は全称命題・存在命題に関する間違いを紹介する.一番の注意点は特定の何かに言えたからといって,全てに適用できるわけではないということである.例えば以下の論証は妥当ではない.
前提1. AであるようなYがある
結論. よってどんなXについてもAである
このような論証はよくやられる間違いである. 次の例を見ると結論は正しいので問題ないと思うかもしれない.
前提1. 1は奇数で3も奇数である.この二つを足したら4であるので偶数である.
結論. よって奇数と奇数を足したら偶数である.
しかし上の論証が正しいのであれば下の明らかに間違っている論証も正しくなってしまう. 例2: (結論も論証も正しくない)
前提1. 1は奇数で3も奇数である.この二つを足したら4である.
結論. よって奇数と奇数を足したら4である. この結論が誤りであることは言うまでもない.\(5+7=4\)かどうかを確かめてもらいたい.
- 1
かといってよくわからない造語を使ってもそれはそれで覚えられない。世間で使われる使い方とかけ離れない程度に上手く用語は定義しなければいけない。
- 2
この辺りの論証の正しさについては論理学の教科書を参照すること.例えば戸田山(2000)「論理学をつくる」や野矢(2006)「新版:論理トレーニング」などがある.
- 3
これは「ならば」文の論理的な構造のせいである.このあたりは形式論理学の教科書を参照しよう.
- 4
「確実に言えること」をいうことばかりが科学ではない.この理論が正しい可能性が高まった(あるいは低くなった)ということも大事である.よって観察自体は有意義である.ネズミが暴れていると断言することが言い過ぎなだけで.